百物語

都市伝説|京都府・京都市上京区

御霊信仰の起源——早良親王の祟り

伝承の範囲

上御霊神社(上京区上御霊前通烏丸東入ル)に早良親王ほか八所御霊を祀る

記録の扱い
伝承・都市伝説として記録
参照情報
2
最終確認
2026-07-09

祟りを恐れて都を移した、という話が本当にあった。785年、桓武天皇の弟・早良親王は藤原種継暗殺への関与を疑われる。無実を訴え続けたが聞き入れられず、護送の途中で食を断って命を落とした。

その直後から、桓武の身辺では妃の死、皇子の病、旱魃、疫病が矢継ぎ早に起きる。早良の怨念のしわざだという噂は瞬く間に広がり、長岡京から平安京への遷都を後押しする一因になったとまで伝わっている。都の場所そのものが怨霊から逃げるために選ばれたのだとすれば、平安京の成立はかなり不穏な始まり方をしたことになる。

863年、神泉苑で最初の「御霊会」が催された。早良親王を含む6柱の霊を祀り、怒りを鎮めることで疫病の終息を図る儀式である。この形式はのちに祇園社の祇園御霊会へと受け継がれ、現在の祇園祭に姿を変えていく。7月に山鉾が都大路を巡る光景の出発点をたどると、恐怖に突き動かされた儀礼にたどり着く。

上御霊神社は今も上京区の一角で静かに参拝者を迎えている。祟る霊を封じるのではなく敬って神に格上げする発想が、ここから始まったと考えると、境内の空気も少し違って見えてくる。